Li - the過ぎ行く日々のかたみに。

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2008.02.10 Sunday ... - / -
#道々考
頭の中身をごろっと出してみようキャンペーン。

茶道、華道、香道、武道、
道徳、悪道、道義、人道、
神道、仏道、道術、正道…、

漢字圏の人々にとって「道」という字は大変便利らしい。
表意文字はより多くの言葉に使われるほど意味は拡散し、集約しにくくなってゆく。
だから一言に「道」の意味は何だ?と問われても説明をするのは難しい。
(他の頻出漢字と同じく)もはや「道」の意味は漠然としたイメージ、エッセンス、アクセントとして我々の中に存在しているのが常態であって、
即物的ではない観念としての「道」について話すことは易しくない。
――例えばアスファルトで舗装された地面を指差して「道」だと言うのは簡単だし、全く以って正しい。実際のモノと言葉とが直結するがために。

多くの意味を持つ「道」でも私が特に考えるのは、案の定、
茶道や華道に用いられる意での「道」だ。
同じ国、同じ言語とは言えど「道」の概念について私の見地はほとんど外国人(異文化人)のそれである。
いくら和の文化だ、何だ、と人々が騒ぎ立てようとも、
現代の多くの日本人の暮らしはフローリングにテーブル、カーペットにソファ。
着ているのはシャツにジーパンだし、食の幅広さは周知の通り。
よって自身の中で混乱している「道」の意味を集約する、という極めて個人的な目的のためにつらつらと考え事をしていた次第だ。
さて、その結果はというと、

茶道などにおける「道」とは
ある一定の倫理的、哲学的、美的価値観の共有によって成立する集団的組織。
または価値・知識体系そのものである。

…と言えるのではないだろうか。
言葉にすればあまりにも陳腐極まりないが、少なくとも広辞苑はこのように纏めてないので意味の一可能性としておいてほしい。

上記の意味での「道」は(少なくとも)今日の日本では、強制されることなく各々の意思または知的好奇心によって、日常生活に取り入れることが可能な知的体系となっている。
数々の「道」が潰しあうことなく並存している。という状態は、実はすごいことではないかと思う。
(ただし同分野・領域内においてさえ互いを他人事として切り離し、議論を避けることで新たな風を取り入れる努力を怠っている面も指摘できる)

こうした事象より浮かぶ断片としては、
・「道」を纏め上げてきた人々の文明・文化的ディレクション能力の高さ
・異なる知的体系が並立することへの寛容さ
が挙げられるだろう。

文明または文化の編集力が高いということは、つまり、
多様な価値観の受容能力の高さの立証である。
それは長く大陸の文明・文化衛星国(所属国)の身にありながら、しかし一地域として独自性を保つためには必要な能力だったのではないか。
現に日本という国全体が他国の直接的な支配を受けた記録はない。
(戦後のGHQ体制下の特殊状勢は除く)
価値観としては地理的・状況的な大勢につきつつ(文明・文化的側面からの支配はあったわけだが)、国全体の統治権を土着の人々が握ってきたことは、地理的な状況を考慮しても奇跡に近い。
一方でここにおいてさえ、中央の政権、価値観にまつろわぬ人々への弾圧が行われてきていることも事実であるが。

「道」ひとつにしても、こうした経歴はいかにかけ離れた価値体系であっても我々の心がけ次第では、それらの並立がいつでも可能だと示している。
そのような文明あるいは文化のありようを、自身の立姿によって示すことが日本人本来の一使命だと私は考えている。
ええと、つまり異文化だけじゃなくて国内の情勢にも目を向けるべき、というかそっちのが先だと思うわけで。
上記のような面を持ちつつも大多数と異なるもの、マイノリティーに対する圧力が強い矛盾がこの国の面白いところではあるのですが。
最近は一定の社会性を維持する、という目的以上に過剰にその作用が働いているのではないでしょうか。

身近なところで言ったら戦後からバブル、現在に至るまで様々な社会理想論が唱えられてきたにも関わらず、
結局は4年生大学を出る時に就職しないとタイミングを逃すぞ、という無言の圧力が学生には圧し掛かってくるのです。
背景にはその「タイミング」から逸れてしまった人々の難しい生活状況がありありと(往々にメディアによって誇張されて)見聞きされることがあるわけで…。
だからと言って実際はそれでもどうにかなってしまうことも多いし、世の中が学生や研究者だらけになっても困るんですが。
(経済的生産力が重んじられる世界では最も「役に立たない」職種だから)
たとえ研究職に就いたとしても「すぐに」「役に立たない」ことは嫌われる傾向がますます強くなってきています。
満遍ない効率性と有用性、即効性が求められるべきではない領域にまで。

「役に立たない」ことだけではなく、「均一ではないこと」も実は嫌われていると思います。
社会の中で共通する枠に収まらないことを極端に嫌う。
これは先に述べた一定の社会性の維持に関して非常に重要で、必要不可欠な事項ではあるのですが、ここ数十年の均一性への執着は異常だよなあ、と思います。
従来あった風土的な価値体系が崩壊したために社会性が拡散して、まとまりが無くなり過ぎている、という危機が異常な統一作用を求めさせている状況もあります。

まあ、お陰で一時の国民総中流層化や生活程度、世界的にはインターネットなどの恩恵にあずかれてきたわけなんですがね。

ともかく異端を受け容れられないシステムは自滅へと向かうのみ、というのが私の私見なので、
どうやってその余地を残しつつ統一性を維持するかが大きな課題です。
2007.08.17 Friday ... comments(0) / -
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