ええと、つまり異文化だけじゃなくて国内の情勢にも目を向けるべき、というかそっちのが先だと思うわけで。
上記のような面を持ちつつも大多数と異なるもの、マイノリティーに対する圧力が強い矛盾がこの国の面白いところではあるのですが。
最近は一定の社会性を維持する、という目的以上に過剰にその作用が働いているのではないでしょうか。
身近なところで言ったら戦後からバブル、現在に至るまで様々な社会理想論が唱えられてきたにも関わらず、
結局は4年生大学を出る時に就職しないとタイミングを逃すぞ、という無言の圧力が学生には圧し掛かってくるのです。
背景にはその「タイミング」から逸れてしまった人々の難しい生活状況がありありと(往々にメディアによって誇張されて)見聞きされることがあるわけで…。
だからと言って実際はそれでもどうにかなってしまうことも多いし、世の中が学生や研究者だらけになっても困るんですが。
(経済的生産力が重んじられる世界では最も「役に立たない」職種だから)
たとえ研究職に就いたとしても「すぐに」「役に立たない」ことは嫌われる傾向がますます強くなってきています。
満遍ない効率性と有用性、即効性が求められるべきではない領域にまで。
「役に立たない」ことだけではなく、「均一ではないこと」も実は嫌われていると思います。
社会の中で共通する枠に収まらないことを極端に嫌う。
これは先に述べた一定の社会性の維持に関して非常に重要で、必要不可欠な事項ではあるのですが、ここ数十年の均一性への執着は異常だよなあ、と思います。
従来あった風土的な価値体系が崩壊したために社会性が拡散して、まとまりが無くなり過ぎている、という危機が異常な統一作用を求めさせている状況もあります。
まあ、お陰で一時の国民総中流層化や生活程度、世界的にはインターネットなどの恩恵にあずかれてきたわけなんですがね。
ともかく異端を受け容れられないシステムは自滅へと向かうのみ、というのが私の私見なので、
どうやってその余地を残しつつ統一性を維持するかが大きな課題です。